デザイナを目指す方へのアドバイス

デザイナを目指す方へのアドバイス

デザイナという職業のウィークポイントは "正解がない"こと。 

デザインというお仕事は、お客さま視線と手法の発見、原稿整理といった雑務のような前段階作業が仕事の8割を占めていて、実際に感性が必要とされる「楽しいデザイン」「美しいデザインを生み出す喜び」の部分はいわば、仕上げ段階のオマケみたいなものです。でもデザイナはこのオマケのために苦労と苦悩をかさねます。楽しいデザイン作業だけをもとめるならアーティストを目指すべきなのでしょうね。

 

いまではコンピュータを使わずにデザインする人は見当たりません。

コンピュータがデザインの現場で中心的な働きをするようになったのは、まだまだ歴史の浅いことなのですが、時代の進歩はデザイナにさらなる変化を強いてもいます。便利なデザインソフトの普及で誰でもデザインらしきものを作り出せる環境が整ってしまって、プロとアマチュアをわける境界線がゆるくなっています。

 

ですからデザインの世界に飛び込むのは、よくよく自分の意思を確認しなくてはいけません。デザイナという言葉の響きがカッコイイからだとか、安易な気持ちで挑戦するとあとになって苦労します。それゆえ<進路のこと><芸大受験のこと><現場での専門学校出身者の動向>など、私なりに経験したこと、感じたことを書いておこうと思います。

これからデザイナを目指す人、進路に苦しむ若い人たちの参考になれば幸いです。

 

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進路にまつわる不安

これは「企画とプレゼン手法」というブログにも書きましたが、たんなるオヤジでしかない私にも若かりしころがありました。ちょうどこの11月~12月のころ。イヤでも思い出す季節の風物詩、進路にまつわる不安。なかでも18才ころの漠然とした不安はいまでも鮮烈に覚えています。父からは「大学受験は1校だけ。浪人は認めない。働け!」と釘を刺されていましたので、自分の将来つまり進路については真剣に悩みました。次男坊でしたから親の跡目をつぐという選択肢はありません。 

 

小学生のころから生物学者になりたいという漠然とした夢を抱いていましたので国立大学を受験する道もあり、 野球部の部長が推薦してくれる体育大学への進学もありえました。また 工学部へ進んだ兄と同じ道を選び、父の跡目をつぐはずの兄を手伝うという世間一般的な常識からいえば、妥当な進路もありえたのでしょうが、好きだった絵を描くことで身を立てるため芸大へ行く道もありかな? なんて、若者にありがちな幻のような夢を追いかけたいという気持ちもあったんです。まぁ選択肢だけは無限に拡がっていましたね。 

 

当時18才だった私の考えはこうでした。

まだ18才なのに、自分のこれからの長い人生をいま・ここで決めなければならないのだろうか?

自分の適性もわかってないし、経験もしていない。なのに一定方向へ進んで大丈夫だろうか?  

 

さんざんに悩んだ挙げ句、 私が出した答えは夢への挑戦/芸大への進学でした。  

親兄弟からはバカだといわれ、先生たちからは総スカンを喰らいました。なかでも美術部顧問の先生がみせた逆上ぶりは凄まじかったです。 野球部に所属しながら理数系進学クラスで国公立を狙える位置にいる生徒が芸大受験を目指すなんて、いまになって思えば教師としてのプライドを傷つけられたと感じたのでしょう。でも私は、命令に従うことがキライだったわけでも、苦手だったわけでもありません。 夢中になれる、没頭して打ち込める時間が好きだっただけなんです。 そう、私はただ、自分がしたいことで生きていくことを望んだのです。

 

受験までは、わずか半年。 

クロッキーの練習をするため動物園へ足をはこび、 風景画のため京都へ何度も通いました。そんな変則的な受験勉強にひとり打ち込んでいたある冬の日。それは当時通っていた芸大向け専門予備校に課題だった作品をもっていき、講師から評価をうける日でした。

寒空のした、黙々と予備校めざし歩いていく途中、高速道路下にかかるススけた歩道橋の上からビルの隙間にとてつもなく大きな、ほぼ沈みかけた夕日がみえました。その瞬間になぜかしら漠然とした不安におそわれて、胸が潰れそうになりました。   

 

 私は一体、何者なのだろう。 

 この岐路でこの選択、この努力は本当に、ほんとうに正しいのだろうか?   

 

足下にはそんな私の個人的な不安や苦悩と関係なく、車列が普段どおりにながれオフィス街には多くの人々が闊歩していきます。 陽の傾きとともに迫りくる夕闇がまるで自分の未来を暗示しているようで、足がすくむという感覚をはじめて味わいました。 作品の入ったカルトンを抱きかかえ、泣くに泣けない将来への不安に「誰か助けて!」となんども心の中で叫びつづけました。 

 

いまとなっては、ただ苦しい(他の人からみれば若いころの感傷的な)思い出ですが、当時は進路に対する見えない不安に押しつぶされないよう、必死に耐えていた象徴が歩道橋だったのでしょう。だからなのかもしれませんがプロになってどれほど経験を積んでも、いまだに夕暮れどきに歩道橋を渡ると このことを思いだし、胸のシメつけられるような思いに駆られます。

<「何者」にでもなれる可能性は、自分がいまは「何者」でもないという証>

選択の自由は、選択の向こう側に何があるかを熟知している者にとっては福音なのでしょうが、そうでない一般的なほとんどの人にとっては 断崖からの飛び降りに似ている気がします。

年齢をかさね、過去を振り返るようになってはじめて「あぁ、あのときの岐路がこの道につながっているんだ」と納得できるのでしょうが、まだまだ何もわかっていない若いころに「選択を迫られる瞬間」というのは、当人にしかわからない苦しみだったり、ものすごく大きな不安だったりします。しかしながら、この不安こそが一番の大敵なのです。

 

不安に立ち向かうには自分を信じられることがいちばんなのですが、若いころは自分を信じられほどの経験も実績もありません。そんなときはやはり原点にもどって自分が何をしたいか(もしくは何をしたくないか)を確認するしかないのでしょう。

 

私には2005年06月12日にアップルの故スティーブ・ジョブスがスタンフォード大学卒業生に送ったスピーチの締めのことば「Stay hungry, stayfoolish./ハングリーであれ、馬鹿であれ」が心に響きます。

 

 ◉ジョブスのスピーチを知りたい方は→

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